架け橋大賞記録集

【第4回 架け橋大賞最優秀賞】 がん患者就労支援ネットワーク

新型コロナウイルスと受賞前後の取り組みの変化

がん患者就労支援ネットワーク

2019年11月、「中小零細企業に対する支援は、今の日本における癌治療と就労の両立支援の一番困難な部分への挑戦であり、またがんをcoming outしたくない人としても良い人に分けた支援など、独創的できめ細やかなサービスの考案と実践を全国レベルで行っていることが評価されました」と、がん患者就労支援ネットワーク(以下「がんネット」という)の支援活動を認めて頂き、第4回架け橋大賞 最優秀賞を頂戴することとなりました。

日本の企業数の約9割は中小零細企業でありながら、人もお金も潤沢に無いことから制度として両立支援を整えるには難しく、支援がなかなか進まないもどかしさから、支援する方向が間違っていたのではないだろうかと不安になることもありましたが、最優秀賞の受賞は、中小零細企業への支援は決して間違っていなかったと、私たちに力を与えて下さるものとなりました。

ただ残念なことに、受賞後まもなく感染拡大してゆくこととなった新型コロナウイルスにより、がんネットの活動も見直しや制約を受けることになりましたが、以下、受賞前後の取り組みの変化について記載させて頂こうと思います。

1. 受賞前の取り組みについて

① 活動の転換

がんネットの取り組みは当初、企業を中心とした活動はしておりませんでした。私たちは、がんとの関りの深い社会保険労務士(以下「社労士」という)7人で2014年にスタートした団体で、自身や家族ががんに罹患し、就業継続の苦労や中断の経験から「就労を続けたいのに辞めざるを得ない、がん患者やその介護を担う家族を支えてゆきたい」という強い思いから発足しました。「がんと共に働く人たちの就労を支援し、病気になっても活き活きと働き、安心して暮らせる社会を目指す」を団体のミッションに掲げ、「社労士の専門家集団が、その知識・経験を活かし、医療機関・会社・専門スタッフ・がん患者さんと協同して支援の輪を拡げる」を活動ビジョンに、初期の活動ではニーズの多かった、がん患者さんや医療機関を中心にセミナーや相談会活動を2年ほど続けておりました。

ただ、初期の活動は次の2つの出来事により、企業に向けた活動に転換することになります。一つは、私たち東京で活動する社労士が所属している、東京都社会保険労務士会で、がん患者就労支援に関わる委員会が発足し、医療機関での相談業務やセミナーなど東京都社会保険労務士会を通して依頼を受ける体制が整いだしたことで、個別に活動していた私たちの活動が一定の役割を終えたこと。

そしてもう一つが、当時、東京女子医科大学病院に勤められていた遠藤源樹先生にお声がけ頂き、研究発表をなされたばかりの「復職コホート研究」のご講義を受けさせていただいたことでエビデンスを基にした制度を作る必要性を痛感し、さらに遠藤先生から中小企業におけるがん治療と就労のキーパーソンとして、企業の利害関係の空気を肌で知っている社労士の果たす役割が大きいというご教示を受けたことが、今後の企業への両立支援活動を行う上で大きな励みとなりました。

この二つの出来事により、就労の受け皿である企業をサポートしない限り、私たちがんネットのミッションは達成できないと思いを強め、がん患者さんや医療機関を中心としていた活動から、企業、それも中小零細企業に支援対象を変えることにしました。

なお活動としては、できるだけ多くの中小零細企業に治療と就労の両立支援を行っていただくための制度作りを広めてゆきたいとの思いから、費用をかけず企業自らの力で両立支援の仕組みが構築できる、その様なツールづくりを目指し活動してゆくこととなりました。

② 両立支援の仕組みが構築できるツールづくり

まず、最初に作ったツールが、「社労士が作った 会社のためのがん患者就労支援ハンドブック」です。

中小零細企業の多くは、がん罹患社員が出た場合、経営者の判断によって退職を勧める社員もいれば、両立支援を行う社員もいるなど個別に対応している傾向が多くみられます。

これは、経営者の「復職の見通しが立たないのではないか」との不安がその一因となっていると考えられますが、中小零細企業の両立支援をするにあたり、制度として基準もなく、根拠のない経営者の判断一つで社員への対応が決まってしまう現状をまず変える必要があると考えました。

そこで、このツールでは様々なデーターを基に復職の目途や生存率を提示し、就労支援のポイントや他社で多く利用されている柔軟な働き方、医療費軽減のための社会保険制度の利用など働き続けられる支援策を示すことで、経営者の不安を払拭し、経営者自らが納得したうえで両立支援制度の構築を進めることができる土壌づくりとなるような内容としました。

当初は、希望される企業へ冊子の無料配布を行っておりましたが、途中からデーターによる提供に変更し、手軽にネットからお申し込み頂けるようにしたことで、全国の中小企業のご担当者、両立支援をなされている団体、また社労士から今でもお申し込みを頂いています。

次に私たちが取り組んだのは、遠藤先生のご研究から導き出されたエビデンスを基に、がん罹患社員が復職し、働き続けられるための仕組みづくりとしての就業規則の開発です。

こちらは書籍として、2019年5月末発売された遠藤先生編著「選択制・がん罹患社員用 就業規則 標準フォーマット」の中に収録されており、がんに罹患しても、復職し働き続けられる制度作りが、本を手にした企業の担当者だけで、カスタマイズしながら実際作成できる点が最大のメリットとして挙げられるツールとなっています。

なお、選択制がん罹患社員用就業規則フォーマットの特徴は3つあり、1つ目は、通常の就業規則とは別に、「療養期間」と「治療を伴う復職期間」に分け、柔軟な支援を受けられるような規定の作りとなっていること、2つ目は、企業の規模・状況に応じた制度にカスタマイズができるようになっており、エビデンスを基にした解説等を参考に読みつつ、具体的な数字を入れて頂ければ良い作りとなっており、3つ目は、このフォーマット条文に関連した、豊富な様式例も掲載しているので、それを参考に会社で作成頂ければ良く、また、「選択制がん罹患社員用就業規則フォーマット」や「様式例」は、出版社のホームページからダウンロードすることも可能ですので、本を手にして頂ければ、エビデンスを基とした“がんに罹患した社員用就業規則”がどなたでも一人で簡単に作成できるようになっているのが特徴です。

受賞以前はこのように、経営者が自ら納得したうえで両立支援へ取り組める土壌づくりと、私たち社労士に頼まずとも中小零細企業が自らの力で両立支援の制度を構築できるようなツールづくりを行い、中小零細企業が一社でも多く両立支援制度を構築してもらえることを目標に活動してきました。

2. 受賞後の取り組みの変化について

① 新型コロナウイルスが拡大する前まで

受賞して新型コロナウイルスが拡大する前までは、受賞をきっかけに、同業者である社労士、損害保険会社様、両立支援を行っている企業様や支援団体様から関心を持って頂くようになり、「何かコラボができたなら」とか、「是非、お話しいただければ」とお声がけを頂く機会が増えたことから、中小零細企業に対する両立支援へ関心を持って頂けたのではないかと受賞の効果を感じておりました。

また、取り組みについては、助成金の第一人者である社労士が、「選択制・がん罹患社員用 就業規則 標準フォーマット」について、「治療と仕事の両立支援助成金」という厚生労働省の助成金の関連で、両立支援の制度導入のため就業規則の整備が必要であることから、受賞後というタイミングでSNSに書籍を掲載して下さり、多くの方から反響を得ていたことから、助成金活用という方向でも両立支援構築が進められることに気づかされました。これにより、取り組みとして両立支援に関わる助成金等があることを企業へ積極的に伝えることで、両立支援制度の構築に躊躇していた企業に一歩踏み出すきっかけがつくれるのであれば、助成金活用を提案することも支援活動の一つとなるのではないかと考えが変わりました。

そこで、両立支援制度を整えるため助成金活用ができること、「選択制・がん罹患社員用 就業規則 標準フォーマット」の活用により自力で両立支援の制度を整えられることなどを中心に、積極的に、治療と就労の両立支援制度構築のため企業向けセミナーを開催するべきではないかと企画をスタートすることとしたのですが、残念ながら、新型コロナウイルスの感染拡大により、お声がけくださった話も、セミナー企画もいずれも中止せざるを得なくなりました。

② リスクに直面した企業へ、両立支援を継続させてゆくには

受賞後、新たに支援活動をスタートしようとしていた矢先、新型コロナウイルスの感染拡大により、中小零細企業ばかりでなく大企業までもが立ちゆかなくなり、企業や雇用される者への救済が急務となった2020年3月以降、企業の雇用を守るため、一時、両立支援活動は中止し、私たちがんネットメンバーは社労士として顧問先だけでなく、行政からの依頼も含め多くの企業へ雇用調整助成金申請支援のために奔走することになります。

企業の存続が優先であったこの時期は、がん患者に関わる両立支援の活動は全く行えず、そもそも、新型コロナウイルスのように想像もつかないリスクに直面した多くの中小零細企業では、両立支援をおこなう余裕さえもなくなりました。そんなコロナ禍で、どう両立支援と向き合えばよいか悩んでいた私たちは、偶然、「レジリエンス」という考え方と出会えたことで、再び中小零細企業への両立支援に希望を見出すことができました。

レジリエンスとは、ご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、もともとは、物理学用語で「外力による歪みを跳ね返す力」という意味で使われ、心理学用語で「精神的回復力」という意味で使われるようになり、今では様々な分野で使われています。

昨今、がん患者の病気を乗り越える力を引き出すとして、レジリエンス外来を創設している所もありますし、企業経営でも、「逆境力」や「再起力」として使われ、今回の新型コロナウィルスのように予測できないリスクへの対応や、環境変化が大きいビジネスパーソンに必要となる考え方として注目を集めています。

そこで、中小零細企業で両立支援を続けてゆくには、リスクに見舞われたとしても、逆境力・再起力を高めていれば両立支援を継続できる可能性があるのではないかと私たちは考えました。今後も、新型コロナウイルスのような感染症は定期的に流行するでしょうし、自然災害も頻繁に起っておりリスクは絶え間なくやってきます。今回の新型コロナウイルスのパンデミックを経験したことで、平時よりリスクや変化に強い組織や人づくりを行うため、組織的にレジリエンス力を高めつつ両立支援への取り組みをしなければならないと、さらに取り組みに対する考え方が変化しました。

3.  withコロナ時代に向けて

さて、withコロナ時代に向けて、引き続き中小零細企業自ら両立支援制度を構築できるツールづくりは行ってゆくものの、リスクや、それに伴う組織・働き方の急な変化に対応できるよう、レジリエンスを高めながら両立支援を行うためまずは、次のコロナの波が来る前に急ぎ中小零細企業が対応できるよう手を打たなければならないと考えました。

そこで、冊子第2弾として、「社労士が作った中小企業のための WITHコロナ時代の両立支援ハンドブックQ&A集」を急遽作成、配布を開始しました。

ただ、今回は急を要することゆえ、ポイントを絞った内容とし、考え方としてレジリエンスも盛り込み、withコロナ時代に適した両立支援の働き方を中心に提示しています。このwithコロナ時代に適した両立支援の働き方については、意図的に緊急事態宣言下に多くの企業で取り入れられた働き方を中心に掲載したことで、経営者に両立支援として特に構えなくともよいのだと、両立支援へのハードルが低くなるように作成することを心がけました。

またこの冊子も、出来る限り多くの中小零細企業に配布することを目的としているため、第1弾の冊子と同様に、冊子の無料配布を希望企業や支援団体等へ行い、併せて、がんネットのホームページにてデーターによる配布を行うこととしました。

なお、新型コロナウイルスの感染拡大によって、今まで以上に中小零細企業において産業医との連携を必要と考える経営者が増えたと実感したことから、withコロナ時代に向けて中小零細企業と産業医の連携促進を図りたいと考えています。

今まで進まなかった、両立支援における中小零細企業と産業医の連携について環境が整い始めている今、連携の足掛かりとして今回の冊子にコロナ禍において中小零細企業から多く寄せられた疑問を、「産業医によるwithコロナ企業対策 一問一答」として産業医の協力を得て掲載しました。これにより、冊子を手にした企業が産業医との連携の重要性を感じてもらえればと思っています。

4. まとめ

以上、がんネットの受賞前後の取り組みの変化となります。この度は、新型コロナウイルス感染拡大という事態により、当初考えていたような取り組みが出来ず、また、中小零細企業の雇用維持のため、雇用調整助成金の申請支援業務に追われ、受賞効果を発揮する機会を逸失してしまい、研究成果としてお役に立てない結果となってしまったのではないかと思っております。

ただし、がんネットとしては、逆にこの両立支援活動が困難な時期を経験できたことで、危機と対峙した中小零細企業に対する両立支援に関して深く考えさせられ、また、中小零細企業の産業医との連携の機運が高まったことなどを、今後の活動に活かしてゆきたいと考えております。